「撮る」という行為は、被写体の心の中にダイブしていくことだと感じている。それぞれが背負ってしまった悲しみや、言い表せないほどの喜び。それらを瞬時に読み取り、掴み、可視化する作業。
だから撮るという行為は、被写体と私との間で繰り広げられる「言葉に頼らないダイアローグ」の結果でもあるのだ。
だから撮る時は、ギリギリまで感覚を研ぎ澄ませておく必要がある。だから撮る時は、どれほど状況が悪くても、心にさざ波を立ててはいけない。
世界にはまだ、言語に頼らずとも「ダイアローグ」しあえる者たちがいる。だから、彼らとの刺激的な出会いを求めて、また旅をつづけてしまうのだろう。