| Top | Gallery | G-Odyssey | What's new | Blog | Stories | Book | Link | Contact |


00

生命の星=地球
論座連載7回目(2008年10月号)


 およそ600万年前、人類の祖先はアフリカにおいて二足歩行を始めた。二足歩行は、敵や食料の発見を容易にするばかりか、移動する自由を人類に与えた。その後、人類が目指したのは、突き詰めるなら、いつの時代も、より便利で、より安全で、より快適な生活だった。敵と戦うのも、領土を広げるのも、還元すればすべてはこの三要素のため。三要素の上に築かれた生活の保障は生命の保障であり、生命の保障は子孫を残す可能性、つまり種の保存に直結していた。その観点からいえば石器にしろ、飛行機にしろ、情報にしろすべては同じ。人間の身体機能を補いながら、便利で安全で快適な生活を保障するモノに他ならない。その三つの要素を欲望の原点として拡大させることが、結果的に人類を地球における覇者へと導いていったのである。

  では、それはどこに到達したのか? そのひとつの答えが、600万年後に訪れた「2001年9月11日」、二機の旅客機がツインタワーに突入する光景、世界中の人々が共有してしまったあの出来事にあると私自身は考えている。

 すべてのモノが手に入るNYとは、より便利で、より安全で、より快適な、人類が追い求めた欲望をギリギリまで拡大し、凝縮させた街。進化の果てに到達した“理想郷”のはずであった。しかしあの日、あの場所が想像を超えた憎悪の対象になり、一瞬のうちに瓦解し、機能不全を起こす。それは進化における神話が崩壊した瞬間でもあった。

 「発展途上国の人々はイキイキしている」と言われことが多い。一面においては確かにその通りだと思う。だが理由を突き詰めると、彼らの社会においては、明快な目標が目の前に無限に広がって見えるからイキイキできるのだ。たとえば自転車に乗りたい、うまいモノが食べたい、お金を儲けたい、家が欲しい、車が買いたいなど、欲望を簡単に設定する余地が残されている社会は、「生き甲斐」のある社会でもある。

 だがしかし、欲望を数や量として際限なく膨張させたなら、人や社会はどうなってしまうのだろうか。

  そのひとつの答えが「9・11」だった。そしてもうひとつの答えを知っているのが、人類史上初めて、集団として異常なバブルの時代を経験した日本人ではないだろうか。札ビラが飛び交い、天井知らずに値を上げた土地を担保に「アメリカ全土を買える」とまで息巻いた日本人。社会にはモノが溢れ、「買い物中毒」が成功の証とまで考えられていた国。欲望を爆発させ、欲望に振り回された社会。だが、それは「生き甲斐」がある社会からはほど遠く、未来への希望も、夢もついばまれてしまったのだ。欲望の行き着く末を、人類史上初めてのスケールとスピードで経験した日本人。だが、ここに未来への可能性が見える。 

 戦争や紛争の根源を探っていくと、多くの場合、原因は土地(領土)、食料、水、資源だった。「火に油を注ぐ」の例にたとえるなら、これらの要素が「火」だ。一般的に戦争の原因といわれる「民族」や「宗教」といったものは、現場取材を続けた限り「油」。油がそれ自体で発火することがないように、土地、食料、水、資源など「火」の要素が安定していれば、民族や宗教に起因する戦争はまず起きることがない。

 実は地球には、全人類の生活をまかなうだけの土地も、食料も、水も、資源もあるという。問題は分配方法だともいわれる。反対に分配することを拒み、一部だけが欲望の限りを尽くした結果が「9・11」に象徴される憎悪の集中だった。また日本においては、必要以上のモノに囲まれたとしても空虚でしかないことを社会全体で体験した。

 ならば、ここにひとつの可能性を導き出すことができる。私たち日本人こそ、世界に先駆け、より便利で、より安全で、より快適な生活をモノの量ではなく、質によるのだと提唱する資格を持つのではないだろうか。

 かつての地球は、無尽蔵の資源があるように思えた。人間の数も、それぞれの欲望も、地球にある資源の範囲内で十分に収まっていたからだ。

 だが今、世界の人々すべてがアメリカ人と同じような生活をすると、地球が5個必要になるといわれるように、人間の数も、それぞれの欲望大きさも、地球資源を遙かに上まわってしまったのである。戦争も、環境問題も、そのことこそが原因なのだ。

 そよぐ風や、乾きを癒す水。海も山も、動物も植物も、それだけでなく無数の微生物までもが関わり織りなす命の星「地球」。人類に今問われているのは、地球がひとつしかないことを改めて確認すること。己の欲望を飼いならす叡知。


2008 Kazuma Momoi. All Rights Reserved.