| Top | Gallery | G-Odyssey | What's new | Blog | Stories | Book | Link | Contact |


00

(水)紛争
論座連載第5回(2008年8月号)


 朝、砂かきをしても、夜になれば、再び砂が家の中にまで入り込む環境。少しでも砂をかきを怠れば、ごく短期間で家が埋まる現実。北アフリカ、サハラ砂漠の周辺部はかつて、アラビア商人たちがラクダを連ね、困難な砂漠越えの末に目指した「サヘル(アラビア語で【緑の岸】の意味)」と呼ばれる一帯である。だが緑が溢れていたというこの場所を今訪れると、小麦粉ほどの砂に、誰もが間違いなく恐怖を覚える。

 砂かきは、日本の雪かきに似ている。決定的な違いは、雪の場合、春になれば溶けるのに対し、砂は季節が変わっても形を変えないこと。それだけでなく、近年、押し寄せる砂の量が確実に増えているのである。

 その中でも、サハラとサヘルを擁す国・チャドの砂漠化は深刻度を増しつづけている。古くから交易地として栄えた中部の町マオ。一族がこの場所で600年前から代々首長を務めているというスルタン(首長)・アリ・ゼズルティ氏(64歳)によると、「1970年頃まで、町には緑が溢れ、周辺の森にはゾウやキリンもいた。それが1970年頃から干ばつが続くようになり、雨が減るばかりか、地下水位も下がり続けた」という。

 訪れたマオの町は、どう見ても砂漠の中で埋まりそうな小さな村でしかない。実際、水不足により次々と人が離れ、「昔とは比べものにならないほど人が少なくなった」という。安宿で宿泊者に提供される水(歯磨き、洗顔、トイレなど)は、1日2リットルのペットボトル一本だけ。人間が生命を維持できる最低レベルでの生活が続いていることが、そのことからもわかった。

 サハラ砂漠は地球規模の気候変動の一環で拡大と縮小を繰り返してきた。だが、今問題になっているのは、そうした自然サイクルではなく、人為的な理由による砂漠化なのだ。主な理由は①人口爆発と、それに伴う家畜数の増加。②灌漑による水資源の枯渇。そして③番目に人為的な地球規模の気候変動が考えられている。

 まず①だが、途上国において、働き手である子どもは家族の「社会保障」だ。そのためサヘルでも多産傾向が続いた。この地域の場合、子どもが一人生まれると食料として家畜が5頭必要になる。主な家畜は芽や若葉を好んで食べるヤギや羊だから、人口が増加するのに比例して、一帯からは急速に植物が姿を消してしまったのだ。日本と比べると、サヘルの人口密度は圧倒的に少ない。だから一見すると、土地が余っているようにも見えるが、砂漠化に直面する貧しい土壌の地域では、少しの人口増加も、土地に対して過多の人口圧をかける要因になるのである。

 ②の代表的な例がチャド湖の縮小だろう。主な輸出産品である綿花栽培のため灌漑が進み、湖の大きさが60年代から比べると1/16となった。人々の飲料水確保さえ難しくなっているチャドだが、「綿」という形で、大量に水を輸出していたのである。 

  最後に③だが、これにはチャドよりも南、赤道付近に広がる熱帯雨林が関係している。アフリカの熱帯雨林で木材の本格的な伐採が始まったのが1970年代だ。赤道付近で温められた大気は上昇し、一部がジェット気流に乗って、北半球では北上したあと、再び地上に降りてくる。大気は湿気も含んでいる。しかし熱帯で木が伐採されたことにより、以前のようには湿度を含まない乾燥した大気が循環するようになった。1970年代からサヘル地方を繰り返し襲っている干ばつの原因の一端は、そう考えると、簡単に説明がつくという。

 だが、こうした要因がひとつだけですべてを説明できるわけではなく、それぞれの要因が、それだけでなく、それ以外の要因も複雑に絡み合い、影響する中で、サヘルにおける爆発的な砂漠化を引き起こしているというのが実像なのだろう。

 マオのスルタン、アリ・ゼズルティ氏は、一階部分が埋まってしまった家を案内してくれた。新しい家屋の出入り口は2階部分に作られていた。

「水不足の原因が何なのか私にはまったく分かりません。『神のみぞ知る』でしょう。ただ、いつまでこの場所で生活ができるのか・・・」

 人体の7割を構成する「水」という要素がひとつの社会で欠乏した時、一帯は急速に不安定化する。世界は「水紛争」の時代を迎えようとしているのかもしれない。


2008 Kazuma Momoi. All Rights Reserved.