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森と人間社会
論座連載第4回(2008年7月号)


 繁茂する木々。シダやツタが足元を覆い、様々な動物の鳴き声が交差する森=熱帯雨林。

 地表の5%を占め、生物種の半分が生息する考えられている熱帯雨林はしかし、土壌だけを考えると「貧しい森」なのだ。高い気温と湿度が、有機物の分解を短時間で進めるためで、芙蓉な表土は5~10㎝ほどしか育たず、その下には無機質なやせた土地が広がっているのである。そのため、温帯の木は根を下方にも伸ばしていくが、熱帯の木は薄い表土に沿ってしか根を伸ばすことができず、横からの力には極端に弱い。アマゾンではだから、ブルドーザーで木に横から力をかけ、なぎ倒す光景を見ることができる。本来熱帯雨林は、高さの違う三層の木々で構成され、地面は湿度を好むシダなどで覆われている。だが過度の伐採が進み、灼熱の太陽が直接地面に降りそそぐようになると、バクテリアを宿す豊かな表土は簡単に破壊され、急速な砂漠化の危険を迎える。

 インドネシア・カリマンタン(ボルネオ島)の森林破壊も深刻なレベルに達している。インドネシア全体の人口増加率が1.2%程度なのに対し、カリマンタンでは2000年までの10年間、3%弱を記録し続けた。20年でほぼ倍になる人口増加率の原因は、この場所に一見すると「豊か」で、「広大」な自然が残っているからだ。特に、1997年に発生したアジア経済危機後は、他島で食い詰めた者たちが大挙流入した。豊かな自然が残っていたカリマンタン東部の「クタイ国立公園」は、世界遺産への申請予定地だった。だがこの時期、流入した移住者たちが、なかば公然と違法伐採を始め、白木の新しい家を建て、畑を作る光景が続いていた。2000年頃になると、かつての「楽園」は、どこにでもある普通の村になっていたのである。

  乾期のカリマンタンで“風物詩”になっているのが「地中火」である。地中火とは泥炭や石炭が燃える現象のこと。泥炭・石炭層が燃え始めたのは1982年に起きた大規模な森林火災がきっかけだった。以来、雨期には置き火として地面の中でくすぶり、乾期になるたびに地表に現れ、延焼を続けている。

 問題はその火をいまだに消すことができないこと。石炭の産出地として有名なカリマンタンだから、石炭層は至るところに広がっている。それだけでなく、深い所で地下10数メートルにまで達し、地中で隣の石炭層とつながっているため、地表部分だけを消し止めても、地下で延焼を続けるわけだ。地表で火が確認されているスポットだけでも数百か所。地下ではその数倍、いや数十倍の範囲で石炭が燃え続けているのだろう。 

 考えたいのは泥炭と石炭の堆積速度である。湿地に植物が溜まることで形成される泥炭は1年に3ミリほどしか堆積しない。カリマンタンの場合、深いところで3メートルほど泥炭層が続いているから、形成されるまでに千年あまりがかかった計算になる。また石炭は2億年くらい前からの植物の化石である。問題は、こうした地層に火がつくことなど、1982年以前にはなかったこと。原生の熱帯雨林は、立ち入るだけで蒸せかえるほど湿度が高く、タバコやたき火の火程度では絶対に森林火災は起きない。また雷などで一部の木が燃えたとしても、延焼することはない。つまり、近年伐採が本格化したことで、次々と裸地が生まれ、2億年の歴史の中で初めて今、人間はこの現象を目撃することになったのである。湿地が焼けた跡には、真っ白で無機質の地層が露出する。一見するとサンゴでできた浜辺のようで美しいが、こうなると普通に伐採された森より、圧倒的に再生は難しいという。

 近年カリマンタンでは、移住者と先住民ダヤクの間で、ナタなどを使った闘争が繰り返されている。単位面積当たりの人口圧が高くなる一方、土壌劣化が原因で穀物の収穫量は減った。こうした状況に伴う土地の奪い合いが原因である。カリマンタンでも環境問題と紛争が表裏一体の関係にあった。

 顔に深いしわを刻む先住民ダヤクの首長は、開発が進む森を前に肩を落とした。

「森の破壊は人間社会の破壊です。なぜ人間はそれに気づかないのでしょうか?」


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