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コモンズの悲劇
論座連載 第3回(2008年6月号)


 環境問題の資料を集めていると「コモンズの悲劇」という言葉に必ずぶつかる。元々、G・ハーディンという生物学者が唱えた理論で、「すべての条件が自由になれば、個人は目先の利益を優先するあまり、最後には社会全体に悲劇が訪れる」というもの。それを「共有地=(コモンズ)」を使って次ぎのように説明した。「自由に立ち入ることができる」共有地を囲むように民家が建ち並んでいるとする。最初、民家はそれぞれ一頭だけ牛を飼い、共有地で放牧している。村人だが、隣の家族より少しだけ利益を増やすべく、牛の頭数を増やしていくだろう。相乗効果が生まれた結果、共有地全体では牛の頭数が急増。最後には共有地から緑が失われ、村人全員の利益も一挙に失われる、という理論だ。

 「コモンズの悲劇」が、世界第三位の熱帯雨林、インドネシアの熱帯雨林地帯カリマンタン(ボルネオ島)では実際に起きているのだ。

 事実はこうだ。この場所の木材は加工しやすいため、合板用途を中心に、80年代には日本をはじめとした先進国で高い需要があった。しかし、無軌道に木を切り尽くせば、すぐに資源は枯渇する。当時、日本でもこの地域から木材を輸入することの是非が、マスメディアや市民運動によって大きく取り上げられた。また1992年に開かれた「地球サミット」を機に、環境問題への感心が高まり、国際的な環境基準がいくつも制定された。現在では、大手木材業者のほとんどが、厳格な環境マネージメントシステムの下で経営を続けているため、無軌道な違法伐採はできるはずもない。それに合板なら寒冷地の針葉樹から作る技術も完成したことで、熱帯材木の必要性は薄れた。だが実際には以前にも増して、違法伐採がこの島で横行しているのである。では誰が違法な伐採を行っているのか? 現地を訪ねるとその正体を知ることができる。大手の木材業者に代わり、個々人が森に入り、無軌道な伐採を続けているのだ。一応、伐採が制限されるようになった森だから、許可を取ることができる人物、または許可など無視することが許される人物、つまり村の実力者やその実力者の家族・関係者が中心だ。しかし、実際には村の末端まで多くの人々が荷担する形で一帯の木々を伐採し続けている。確かにこんなことは以前も行われていた。だが、今は以前とは比べものにならない範囲で、比べものにならない数の人たちがそれに荷担しているのである。ハーディングの説では「オープンアクセス」が前提だが、ネポティズム(家族主義)が蔓延る地域だから、規制など意味を持たず、権力に近い者たちを中心に、事実上オープンにアクセスできる環境が生まれていたからである。

 それだけではない。人目につかない森の奥の奥では、そうした利権構造に与ることができない市井の者たちが、至るところで摘発を恐れながらも違法な伐採を続けていた。

 違法伐採後、商品価値の高い木は、国際基準に関係しない中小の木材業者に売り渡される。ただし現在では、商品価値の高い木など、すでに人が住む地域周辺ではほぼ消滅しているから、悲しいことだが、そもそも切られる心配はない。だから今、人々が森に入り違法伐採をする理由の多くは、木が目的なのではなく、土地。違法に木が切られ、開墾された場所は、伐採直後すぐに雑木が燃やされ、多くの場合、「アブラヤシ」の農場に化けるのである。果実は加工され、「天然由来で、自然にやさしい」ヤシ油の原料として、世界に輸出されるのだ。つまるところ、世界各地に住む、個々人の健康という「利益」のためにカリマンタンは食い尽くされているわけで、現地と全世界を巻き込み、二重の「コモンズの悲劇」が完成してしまったのだ。

 専門家の言葉を借りれば、世界第三位の大きさを誇る熱帯雨林カリマンタンには、「すでに本来の意味での原生林など存在しない」という。


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