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戦争と環境
論座連載 第1回(2008年4月号)


 地球環境問題の本質と影響を、写真と文章で思索するこの連載の第一回は「戦争」を取り上げてみたい。一見関わりのない環境と戦争。だが、少しでも想像力を働かせるなら、ふたつのキーワードに明確な関連を読み解くことができる。

 最も顕著なのが、アフリカ中央部に位置する国ルワンダで発生したジェノサイドだろう。1994年4月~7月にかけて、北海道の1/3程度の面積しかないこの国で、1日あたりおよそ1万人、三か月で100万人が「民族」の違いを理由にナタや木槌で「浄化」されたのである。

 赤道のほぼ真下。一方で「千の丘がある国」と言われるように、丘や山が連なることで穏やかな高原気候で知られる国がルワンダだ。現地を訪れて気づくのは、それらが日本のように木々に覆われていないこと。斜面を埋め尽くすのは畑ばかり。それも気が遠くなるほどの時間と手間がかかる石積みの段々畑ではなく、急増した食糧事情を前に、斜面に沿うように即席で作られたものなのである。そのため80年代後半から雨が降るたびに、土壌が流出するようになった。結果、かつて清流で知られた川は、流れ込む土壌により黄土色の濁流に変わり、芙蓉な表土を失った畑の生産性は急速に落ちていった。ちなみに80年代当時、ルワンダでは一人1日2000キロカロリーあったカロリーベースでの食糧自給率が、90年代初頭には半分の1000キロカロリーにまで減少していた。土壌流失が元で、深刻な飢餓が蔓延したのである。そして食糧不足という社会不安が頂点に達した時、覇権を狙う者たちが「民族」の違いを強調した流言蜚語を流し、ストレスを抱えた人々が民族浄化に荷担していった。深刻な環境破壊が「油」だとすれば、民族的要因は「火」。そして油に火が注がれた結果、1日換算でアウシュビッツの数倍のスピードで進行したという「20世紀最悪の虐殺」となってしまったのである。

 宇宙に浮かぶ閉鎖系の惑星「地球」には、限られた土地と限られた資源しかない。67億人にまで脹れあがった世界の人々がそれをどのように利用するのか。その意味から捉えるとイラク戦争も異なる意味を持つ。

 2004年2月、開戦から1年を経ようとするイラクで私は興味深い光景と出会った。アメリカ軍の装甲車に前後を守られながら、日夜隊列をなして走り抜けるタンクローリー車。積まれていたのは原油だった。「火事場泥棒」をも連想させる奇異な光景であったが、戦いの根源に「地球資源」があることを、無数の原油搭載車が物語っていた。

 他に例を挙げるとするなら、泥沼化するスーダン紛争も、今ではルワンダ同様、無計画な土地の収奪に起因する食糧生産の低下が原因だったと考えられている。また、スーダンの隣国チャドで続く現在の深刻な政治不安も、元を辿れば砂漠化があり、砂漠化の元を辿れば、主要因のひとつに綿花栽培のための灌漑に行き着く。人命をも脅かす深刻な砂漠化に直面する国チャドは、一方で大量の水が必要とされる輸出用コットンを生産し、外貨を獲得しようとしているのである。

  「戦争」を解体してゆくと、多くの場合、根底の原因に土地(領土)、資源 食糧、水などがあることに気づく。それらはすべて、「地球」が宇宙の中に浮かぶ閉鎖系の惑星であることに起因している。人間は地球以外の場所に安定して住むことはできない。同時に地球という環境(資源)には限りがある。そのふたつの要因が交差し、社会ストレスが高まった時、それらの要因が戦争という形への変容を繰り返してきたのだ。

 現在、地球環境の悪化が深刻化している。20世紀に引き続き、今世紀も世界は「戦争の世紀」に包まれるるのだろうか。

参照 石弘之「ルワンダの崩壊」(国際協力研究24号 1996年10月)

拙著「破壊される大地」(岩波書店)


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